裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

もどるべ。   

2006年5月 4月 3月 2月 1月 2005年11月 10月 9月 6月 5月 4月 3月 2月 1月  2004年12月 前の日記

 

6月27日

自分がレッテル貼りだという事に気づいて、マジ凹みな和光です。
まぁ、この日記にはイヤというほど書き散らしておりますが、僕という人間は自分に対して凄く否定的なのです。
何か辛いことやトラブルが起こった時には、すぐに「ダメなわたし」と思ってしまいます。
そう思ってしまうことの原因の一つとして、「私はダメ人間です」というレッテルを貼ってしまっていることに気づきました。
このレッテルを貼る事により、トラブルの原因はそのせいなんだと正当化でき、そしてその通りに動いていくことで安心感を得られるのです。
勿論、自分はダメ人間だなんて認めたくありません。しかし、心の底ではどうしても覆すことの出来ない何かがへばりついている様で、
一生懸命そのレッテルを剥がそうとすればするほど、「いや、無理ムリ」「どう足掻いてもダメなもんはダメ」と、抵抗を喰らってしまいます。
今日もまたそれに立ち向かっていたわけですが、ことごとく撃沈して、見事に憂鬱な醜態を晒しているのが、現在で御座います。

何だろ、そのレッテル貼りというのが自分だけに向いていたら良いのですが、世の中そんなに上手くいくはずが無く。
自分との会話(うーん、上手く表現できない)で自分に問いかけている台詞が、他人へ問いかけるそれと似ていることが良くあります。
それと同時に、自分を見る目線が他人を見る目線と似ている事もあったりします。
単純に自分はそうだなー、と感じただけなので、万人が万人に当てはまると言う事ではないと思いますけれども。
僕は他人から影響を受けやすい体質です。要するに自分であまり考えていないと言う事なのですが。
なので、噂や伝聞、マスコミ・インターネットの情報などを真に受けてしまう悪い癖があります。
「これは○○だ、だから悪い」 ああ、そうなんだー。○○は悪いんだー。
「こんな言動しか出来ない、だから○○は信用ならん」 ああ、そうなんだー。○○は信用ならないんだー。
「○○は面白いよ」 ああ、そうなんだー。僕この作品知らないけれども、○○は面白いんだ、へー。
……書いてて吐き気がしてきましたが、大体自分の生き様というのはこんなものです。
本当かどうかを五感で体験せず、ただの伝聞や文章だけで判断するのは、本当に認識しているとは思わないのです。
本当のことを知りたいと本気で思うのであれば、その人やその作品etcに飛び込んでいくのが道理だと思うのです。
ただレッテル貼って安心しようとするその臆病さ、自分に対して反吐が出ますよ。
もっともっと心を奮い起こして人にぶつかっていかないと、やがては卑屈で陰口大好きな最低人間になってしまいそうで。

何だか自分の思いを上手く文章に出来ないなぁ。凄くもどかしい。
もっと本を読まなきゃなーと思うんだけれども、読む気力が無いといいますか。
うーん、フィールドワークが大好きな自分にとっては、文章を読んで判るという概念よりも、五体で感じたものを信用したいというか。
何だろう、難しいなぁ。インターネットが普及しているこの時代、目の情報処理能力の長けている人に有利という世の中において、
それに反駁しようとする自分自身は間違っているんかなーと思う次第です。
映像・画像・文章から得られる知識のみで世界は構成されているとは思っていませんが、ネットに繋いでいるとその感覚が徐々に失われていくようで。

 

6月24日

ある方からラスペの感想を頂きました。自分にとっては痛い感想で、あまり受け止めたくないようなものでした。
その方もシナリオを公開しているので、プレイしてみてダメダメだったら思いっきりダメ出ししてやろうという、黒い感情が沸き上がってしまいました
結果は、こちらの完敗。
その方のシナリオをプレイする事で、自分のシナリオのダメさを浮き彫りにしてくれるようで。
いや、楽しかったのですが、心の底では「うわん」と泣きながらプレイしていました。

振り返ってみると、自分は実力は無いくせに自惚れるクセを持っているような気がします。
自分よりも下だと思う人には変にうやうやしくしたりします。そして自分より上だと思う人には変に媚び諂ったりします。
これを「畜生の生命」と言う事もあるそうです。
もっと対等に人と接したいのですが、自分に自信が無いため、人の感情や状況に合わせて接してしまいます。
それが嫌だ嫌だと思っても、なかなか変える事が出来ないのが世の常です。
まぁ、僕の場合は変える努力すら出来ていないのが原因なのでしょうけれども。


今、自信というか「これでいこう!」というものが出てきません。
17話で今持てる全力を出したつもりでも、結局のところこの程度か、と後々になって自分で思います。
全力で作っても、アレが出来ていない・コレはどうなった・ソレが不自然と、毎回のようにツッコミが来ます。
有難いことなんでしょうけれども、一体僕は何時になったらツッコミの来ないシナリオが作れるんだろうと、ナニカを爆発させたくなってしまう衝動に駆られます。
ここが忍耐の為所なんでしょうね。

考えちゃいけない、立ち止まっちゃいけない。
困難を楽しめ、混沌たる濁世を悠々と闊歩していけ。
全ての事には何かしらの意味がある。
信じられないような、目を覆いたくなるような事が起ころうとも、
それが自らに降りかかるという事でも、何か意味のあることなのだろう。
腐り、堕落した自分にも、その可能性があるというのなら、
その一縷の可能性に賭けてみたい。
それを信じるエネルギーの枯渇が、自分にとっての急所。
悲観ではなく楽観。諦めではなく執念。
その転換を成すエネルギーを。
ひたすらに、ただひたすらに蓄積していくことが、今自分に最も必要なことなのだろうと思う。

戯言コトコト。
あー、言っておきますけれども、僕だって言葉遊びあんまり好きじゃないっすよ。
でも、その時読んでいる本とかゲームなんかに影響される場合もあるんで、その影響で言葉遊びに走っちゃうこともあるのかも。
……影響受けすぎも困りますネェ、あははは。

inserted by FC2 system