裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

もどるべ。   

2004年12月 前の日記

1月31日

今日、仕事で(自分にとっては)様々なヘマをやってしまった。
具体的には書かないが、軽率な行動がそれを引き起こしてしまった事を深く反省しないといけない。

責任。これは消極的な人間には身に付きにくいものである。
仕事上での責任、サークル内での責任、自分の言葉に対する責任。
自分に消極的な人、要するに自分を軽視している人というのは、
自分の行動が他人に与える影響というものをよく考えない人が多い。
それは、「何とかこの場をやり過ごそう」「誰かが変わりにやってくれるだろう」といった他力本願な心に由来するものである。
では、どうしてそういう風に考えてしまうのか。
自分に自信が無いからである。それも、臆病という異名が付く位の。
自信のある人は物事をスムーズにこなす事が出来る。そして積極的である。それと同時に責任感も生まれて来る。
しかし、自信が無い人は内に篭り、そうなってますます自信を無くすものだからどんどん悪い方向に陥ってしまって。
責任。非常に重い言葉であるが、人間誰しも忘れてはならない言葉である。

それを今日は忘れてしまったのだ。言い訳など通用しない。ただただ、猛省するのみである。

ある人の言葉に、
「世の中には3通りの人間がいる。いてもらいたい人、いてもらいたくない人、いてもいなくてもどちらでもいい人。
 貴方達はいてもらいたい人に成りなさい」というのがあります。
今、僕はいてもらいたくない人の部類に入るのかもしれません。
人間誰しも、「いてもらいたい人」になりたいと思うでしょう。
いてもらいたくないという否定的な眼で見られるのは誰だって辛いものです。
そういう眼から逃れたいという理由で「いてもらいたい人」になりたいというのも、何か違うような気がする訳で。
結局それは周りの否定的な眼から避けるための居場所が欲しいために「いてもらいたい人」になるので、
また別の視点から見た人から否定的な眼で見られた時、その人の眼を避ける為にまた逃げ場所を見つけなければならない。
僕が考える「いてもらいたい人」とは、快活で、人の事をよく面倒見て、物事に対して責任感がある人の事だと思います。
今の僕はそれと真逆にいる訳です。

ただ、そんな僕が「いてもらいたい人」に変わりたいという願望はあります。
それをどこまで持ち続けていけるかが、これからの人生における勝敗の基準になると、自分は思うわけで。

 

本当、マジ疲れてます。更新したから暫くは休んでも良いよね、うん。

 

1月23日

ネット鬱になってました。SRC関連のサイトには目を通してはいたものの、ネット上で誰かと話す事自体億劫だった訳で。
特に酷かったのは一昨日かな。一日中緊張してた上に何気ない一言で他人を傷つけてしまったっぽく。
他人を傷つけてしまったという罪悪感に苛まれてまともな精神状態じゃなかったのです。
そのときの自分はきっと、酷い顔をしてたんだろうなーと。
その後、大丈夫だよという連絡がまた別の人から戴いたのですが、その人のPTSDを再発させてしまったら
自分のせいになってしまう、僕はひょっとしたらとんでもない事をしてしまったんじゃないだろうか、と今でも引きずってます。

あと、数本のシナリオをプレイしたのですが、どうしても他人と比べてしまう心が出てきてしまって。
純粋に面白かったはずなのに、その面白さが自分のレベルの無さを明らかにしてくれて。
どう言ったら良いんだろう。純粋にSRCが楽しめなくなってきてるのかな。
どうしても自分のシナリオのレベルと比較しながらプレイしてしまって、「このシナリオには勝てない」とか、
「これだったら自分でも何とか勝てるかもしれない」というような観点でプレイしてしまっていて。
それは歪んだ感情だって判っているのに、止められない。

自分の事しか考えられない。もっと他人の事に気を遣っていたいのに、気がつくと自分の事しか喋ってなかったり。
自分の事を否定するような事を言って、その話している人から同情を貰おうとする卑しき根性。こんな自分に腹が立つ。
それだったら、人と話なんかしない方がマシなんじゃないのか、と思ってみたり。

一回離れた方がいいのかな。
こんな気持ちでシナリオなんて作れないし、感想を書こうにも「面白かったよ」という表面的なものしか書けなさそうだし。
それ以前に、精神が分裂してるっぽいので、文章書くのにも話す事にも分裂してるような気がする訳で。

何かもう、色々と疲れてます。

 

1月18日

何時の頃からだろうか。
人の目ばかり気にして、周りにばかり気をとられるようになったのは。
何時の頃からだろうか。
自分自身の進む方向が判らなくなり、苛立ち、不安に駆られる日々を感じるようになったのは。
何時の頃からだろうか。
他人に良く思われたいが為に、自分を殺し我慢を続けていくようになったのは。
何時の頃からだろうか。
わがままを言わず、ただ周りがちやほやされる事に喜悦を感じ行動をするようになったのは。

この歴史は葬り去る事は出来ない。

ただし、忘れている事がある。
それはひょっとしたら太陽の中にある小さな小さな黒点であるかもしれないという事を。
地球から肉眼で太陽を見るとき、太陽の黒点なんて見えやしない。
黒点があったからといって、太陽は光を途絶えてしまう事なんて無い。

だから、愚かしいのだ。だから、勿体無いのだ。自分で自分を苛めるという事は。
悩むのは辛い。焦りを感じる時、苦悩は邪魔な存在だと思ってしまう。
だがしかし、悩むのは良い。それが自らをより深く形成していく糧になるからだ。

常に自らに言い聞かせていこう。
「桜梅桃李」と。
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李。
桜はどれだけ願っても、桜以外のものになる事は出来ない。
それを悲観的に考えるのではなく、桜だからこそ出来る事があるのだと、自覚する事。
人はそれぞれ違ってこそ面白い。
ロボットの様に皆がみんな同じ思考・行動をするのは余りにも異常である。
その人はその人なりの個性を持ち、それを活かしてそして死んでいく。
それでいいじゃないか。

 

うーあーうー、何が言いたいんだろうね、最近の自分は。
落ち込んだり、いきなり前向きに考えてみようと思ったり。
でも結局落ち込んで、そして立ち直ってみたりして。
そういう気持ちの凹凸が感じられるだけ、僕はまだ幸せなのかもしれない。

で、サイト1周年を目指してラスペを制作してます。
1月30日には12・13話同時リリースをやるつもりで考えていきます。
つか、1年でようやっと半分かよ。どうするよコレから。

 

1月15日

やっぱり自分って小心者だよなって思うわけで。
いや、小心者というより、自分で自分の境涯に偏見の眼を向けているような気分というんだろうか。
パソコンを趣味としている=オタク。人に趣味を紹介するとき、自分でそんな偏見を持ちながら言ってるものだから、
自然と声が小さくなったり、言ったら言ったで開き直ってしまったり。
自分の興味のある事に、自信が持ててない。
趣味っていうのは人の目など気にしないで打ち込めるものだと思う。
でも、どうして人に紹介する時、卑屈になってしまうんだろうか。決して恥ずかしい事ではないというのに。
人は、自分が興味を持つものというのは、必ずしも他人と一致しない。というか、全て一緒だと恐ろしいものがある。
だから、自分が興味あるものはとことん突き詰めればよい。人がどう言おうと、馬鹿じゃねぇのと罵られても。
ただし、卑屈になってはいかん。それは自らの事を自分で否定する事になってしまうから。
卑屈、卑屈、とにかく卑屈。人の話題に付いていけなくて卑屈。周りから外れて卑屈。
…それが、リアルであってもネット上であっても、変わらない壁。
言葉で表すと、自意識過剰っていうんだろうか。
他人はただ、自分に対して好奇の心を抱いているに過ぎないのに、自分はそこでどう思われるかを強く意識してしまう。
成るべく良い人に見られたい。そうであれば、自らの領域は安泰である。
そんな小心者の論理を引っさげて、これからも生きなければならないというのか。
人から拒否される事を嫌悪する人間は、小物で終わってしまう。そんな予感がしてならない。

 

1月13日

没が怖くてシナリオ書けなくなるのって、愚かですか?
一生懸命考えたeveを「んー、もう一回」といって書き直せないのは、意気地なしですか?
勢いだけで突っ走って何も考えずシリアスな話を作っていくのって、やっぱり変ですか?

僕の癖は「不自然」か。
そのときの流れを上手く掴み切れず、結局他のものに頼った展開を作ってしまう。
何か自分の性格が全部現れてるような気がするんですけど。
辛い状況に陥ったとき、自分は他者からの救済を求めてしまう。
ピンチを切り抜けるのは自分の力ではなく、自分以外の他のものにすがってしまう。
だからだろう、不自然なご都合主義が僕のシナリオに漂ってしまっているのは。
そして、他のものがやってきたら戦っているスーパーマンを傍目で見るような感じで、そのものに任せっ切り。
注意しているはずなのに、なのに同じところでそういう「不自然」を当然の様に用いてしまう。
そして、その癖は自分では殆どといっていいほど気が付かない。
全く、どうしようもないな、もう。

それを裏に返してよい意味での「不自然」を考えてみる。
今までの展開をぶち壊してまで、次の新しい展開へと無理矢理繋げる。
…ダメだ、良い意味が思いつかないや。

万人に受けようというおこがましい事は考えていません。
でも、やっぱり評価はしてもらいたいって考えてしまう訳で。
しかしですよ、余りにも人の制作したものに触れる機会が少なすぎて。で、それに触れようとする努力を怠っていて。
それで「自分はまだまだなんだ」って思う事は愚かしい事だと思うんですよ。
自分の世界に浸って、「俺って凄い」って思ってしまってる訳で。


自分のいい意味での変化って、いつ訪れるんだろうか。

1月11日

「人生最大の悲劇は死ではない。生きながらの死である」 ノーマン・カズンズ

んじゃ、生きながら屍と化している僕は最早悲劇の真っ只中に居るんですか先生。
まああれかも。あんまり悲観的になっても仕方ないかな、と。何か一つ停滞を防ぐ策を弄しているのであれば、
それは「生きながらの死」じゃないんだろう、と勝手に解釈しておきましょう。

んで、僕マリ。ロザリオーの影響を受けてますなぁ。かくいう僕も偉そうな事言えませんが。
設定が非常に大好きです。「ディープレインイヤー」のお陰で食糧危機に瀕して略奪が起こるとか。
余りに人間として普通の行動を起こしてますなー。こういう現実直視したシナリオ大好きです。
何かアレだ、戦時中の日本を思い出すよ、修道院での生活。「ゴメン、配給券これしか貰えなかったんだ」とかいうセリフが
普通に似合いそうで怖いかも。
略奪者達の戦略なんですけど、200年近くも生きていたらこういう姑息な手段をいっぱい知ってそうなんですけど、ガイラル君。
200年生きてる割には、あんまり老獪じゃないのねって感じで。
んー、でも初めて護るべきものが出来た訳だから、その行動だけに束縛されてしまったんだろうかなー。
あとマリアさん。瀕死の状況で20年近くも祈りつづけてたんすか。普通に凄い。飲まず食わず祈り20年、釈迦もびっくりですな。
色々言ってますが、好きなんですよこういうシナリオ。誤解しないで下さいね。

もう一つやったシナリオ
『ASUKA』 第1話まで
オープニング演出はすきですよ、ええ。木藤さんインクルも爆発してますし、大好きなんですよ。
でもですね、それに似合っただけの物語を作ってくださいよーって感じで。
襲われた女の子は無茶苦茶怖い目に遭ったにも関わらず、次の日ケロッとしてるし。
僕だったらトラウマで一人で外で歩けなくなるかもしれないや(笑
んで、出会って間もないのに、「先を越されるのは嫌」とかいうのはどうなんだろうとか思いますぜ?
こういう突発的危機ーな時には、手を合わせてピンチを乗り切るでしょうにー。
何でそこで人を出し抜く生命が出てくるんだろう、と不思議に思ったわけで。
面白い要素が詰まっているけれども、何気ない会話で台無しにしてる感じがします。
…とか感じたものの、自分も最初はこんなのだったから、あんまり人の事言えないんですよね、シクシク。

そしてラスペ12話、公開準備完了。何時でも発射オーライです。
……けど、今回は13話同時に出すかもしれません。だって、只今ラスペ13話14kbだし。

 

1月6日

結局疲れが取れてない、つか左肩が何かおかしいし。肩こりが全く取れないぜよ?

ラスペ12話一通りプレイ。話の流れ、やっぱりおかしいな。無性に壊したくなってくる気分に。
そういう気持ちって出てきますか? 僕は時々そういう衝動に駆られます。
何とか理性で抑えています。いや、一度作ったものを壊すなんて勿体無い事出来るかって思ってしまうのかも。
いやいや、一度壊してもう一回再構築するだけの度胸がないと言いますか。うん、きっとそうだ。
そして加筆加筆で余計なものがくっついてしまって、結局駄作に陥ると言うデフレスパイラル。うーあーうー。

今日のアイコン。

リリー様泣きver。今までのアイコンと画風が変わっているので凄く違和感あって落ち込む。

 

1月5日

あれ? ラスペ12話31k.bにて完成……!? 何かペース速いような気が。
何か舌も乾かぬ内にシナリオ制作してたなー、ちきしょう。
今回は凄く書きやすかったのかも。前々からプロットが立てられていたし、何よりアベルちゃんが動かしやすい(笑
流石、困ったときのアベルちゃんだっ。
そしてありえねー展開。主人公より回りの人達の方が目立ってるし。特に師匠、熱すぎだそのタイミング!

今回は成るべく難しい表現を避けました。その分冗長になってしまっているかもしれませんが。
でも、11話で犯した失敗を生かしつつ作っているつもりではいます。……つもりですけどね。
んまー、まだアイコンとか戦闘メッセとかバランス調整とか全然やってないから出すのは先になりますけど。
で、複数視点に挑戦しようとしたけど、僕の技術では到底無理だと言う事が判明して、そのネタはお倉行きになりました。

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