裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

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2月20日

この数日間、鬱状態が抜けないでいる和光です。
人と会う時には空元気で何とか乗り切っているのですが、家に帰った瞬間からやる気を失ってしまうんですよね。
家にいるより外にいた方がテンション高いって、どういう事なんだろうかーとか思いつつ。

某氏は義務感や使命感に囚われるならば製作するなどもっての外だ、と仰いましたが、
生きていること自体義務感で一杯な自分はどうしたらいいんだろうと素で思いました。
他人に追従し、人の顔色を伺ってビクビクしながら過ごしている自分には、到底悟ることの出来ない境智なんだろうなーとか思います。
本音で生きる事は自分にとっては羨ましい反面、某氏にとってはそれが悩みだったりします(断定しちゃいけないんだろうけれど)。
でも、自身の精神衛生上好ましい方を選ぶのならば、他人から色々言われても本音を言えた方が良いとは思います。

本音が言える自分になりたいなー、とかほざいていると、「他人は他人、自分は自分ですから放っておけば」と反感喰らいますんで、
もう何も言わないようにしたいとは思いますが。

 

何と言うか、全ての事がストレスに感じてしまってやんなっている状態です。
仕事などは疲れはしますが、まだ「自分は働いているんだ」という達成感に浸っているので、精神的には楽です。
ですが、ゲームする時、他の人と遊ぶ時、はたまたネットする時やメッセで話しているときなど、
普通はリラックスしながら行うべきなのに、何故か肩に力が入ってしまうんですよね。
感想書かなきゃならない、遊びの面でも良い自分を見せなきゃならない、一生懸命話に着いていかないといけない、言葉を選ぶのが大変、等々。
リラックス出来てないんですよね。
無理に行う必要は無いのに、無理に外向けの顔を見せながら色んな事を行っているんですよね。
それこそが一番疲れる、というのに。
他人に合わせないと、気に入られないと自分の存在価値は無いんじゃないかとか思っている時点で、間違いだと判っている筈なのに。

拒絶される事で生じる挫折感や嫌悪感。子供の時に良く味わった良くない感情。
今でもこれを味わうことに恐怖を覚えているのは、ある種のトラウマだったりするのだろうか。
しかし、どれだけ八方美人でいても拒絶する人は拒絶するわけだから、その事で怖がって何もしないというのは、愚かなのだろう。

セールスマンは色んな人に断られ続けても尚、商品を買い求めてくれるお客を見つけ出すまで、幾度と無く家に足を運ぶ。
その時、「商品を買ってもらえなかった。私の言い方が拙かったからだ」、と思うか、
「ああ、これで商品を買ってもらえるべきお客さんに一歩近づいたのだ」、と思うか。
辛い出来事に悶々とするのか、それとも何かしら希望を見出しながら一歩でも先へ進むのか。
客観的に見ても、後者の方が精神衛生的にも異常をきたさない考え方なんだろうなーと思う。
だが、その希望を見出す原動力は一体何処に在るのだろうか。どんなに辛い状況でも頑張れるエネルギーは、一体何処から湧き出でて来るものなのか。
他人じゃなく、自分自身である事は重々判っている事。どうすれば自分がそういった可能性を引き出すことが出来るのか、未だ信じることが出来ないでいる。

 

はしりがき、はしりがき。精神に異常をきたしそうになるとこの日記に色々と書きたくなるのが癖ですから。
異常って言われても、そんなに大したことではないのですが。そう、ただの鬱憤晴らしですよ、きっと。

 

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