裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

もどるべ。   

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1月31日

仕事場にて。首筋が何だか痺れて全身に震えが来たような状態を感知しました。
息切れがしたり、そのせいか脳に血があまり行き届いていないのか、仕事に身が入らないという状況に陥りました。
しかし何でしょう。不思議なのですが、「自分がその痺れの状態を作っていた」という感覚があるのです。
何かこう、上手く表現することが出来ないのですが、その体の不調は自分自身で作っていたんじゃないかなーとか思ってしまって。

ネットで色々と調べてみると、どうやらこれに近いものらしいです。
断定することは出来ないのですが、ストレスが溜まった時には良くこういった症状が出ているので、多分これかと。
ベッドに寝転んで起きなければならない時になっても、力を入れても(実際は力を入れているようで入れていない感覚)起き上がれなかったり、
はたまた悩みすぎると頭が痺れたり極端に重くなったり、自分が歩いている感覚があまり感じられなかったりします。
要はストレスを溜めるな、という事に帰結するのだと思いますが、些細な事でも気にしてしまう人間なので、今すぐにーとはいかないと思います。
……こう「僕はこういう症状かもしれない!」と他人に訴えかけること自体、ヒステリーの最たる症状なのですがね。
何だろうな、誰かに甘えたいんだろうかな、自分は。そんな人などいる訳は無いというのに。

もし苦痛ならば、一旦引けばよい。力が回復するその日まで、土の中に臥して待つが良い。
誰も満身創痍の自分なんて見たくない筈だ。
もし、それを見て喜ぶ人がいるならば、それは加虐嗜好の持ち主に相違ない。
そんな人達に目も暮れず、ただひたすら自分の回復を信じて待つ以外に他ならないのだろうか、今は。
形の上では逃げているのかもしれない。
しかしそれが、次へのステップの「溜め」ならば、それは甘んじて受け入れた方が自分のためなのだろう。
苦しくとも、自分なんかいてもいなくてもどうでもいいんだと思ってしまっても。
もう一度復活する日まで、未来を見つめながら。

 

※ 誤解されては困りますので、補足をば。

   日記を書いたりSRC活動をしたりする頻度は落ちるとは思いますが、引退するにはまだまだ早いと思っております。
   もし「早く出て行け!」とか言われるのであれば相応の対応はします。
   ストレスの原因は紛れも無く自分自身のストレスに対する弱さにあると思っておりますので、気にしないで下さい。
   自分が招いたものは、自分で落とし前を付けないといけないとも思いますので。

 

 

1月29日

有難う、Web拍手の人。
久しぶりにeveを開きました。こんなのがSRCシナリオライターと言っているんですから、ちゃんちゃらおかしいですよね。

んでまぁ正直なところ、修正したのに修正しきれてないやん、って言われたのが一番辛かったです。
表では「詰めが甘い」と緩めに書いていますが、1度言われて出来ないのを馬鹿と、巷では言うらしいです。
それが原因で、幾度と無く人から無視されたり嫌味を言われたりしたか……。

まー何でしょう。「ピンチもチャンスに変えられる」という一昔前流行ったCMのフレーズにもある通り、
捉えようによっては、厳しい状況というのは今までのやり方や作戦では通用しなくなった状況であって、
別の方法や考え方を模索し行動することによって挽回することも可能であるとは思います。
……あくまで机上での事ですが。
現実生活に即して考えると、これがなかなか巧くいかないことが多いです。
上役の人だったり立場上逆らえない人から「○○って××なんだよな、だから△△だ」とか言われたりしたら、
どうやってピンチ切り抜けていくねん! と焦燥に駆られたりします。
まぁ、それが人によってピンチと捉えるか捉えないかという、個人の受け取り方というのもあったりしますが。

正直なところなにが書きたいんでしょうね、自分は。
詰められたから凹んで、その理由を一生懸命考えて自己完結しようとしてるんじゃないかな。
全く、自己完結しちゃったらまた同じミスを繰り返してしまって、挙句の果てには気づかないで一生を終えてしまうというのに。
どうしてどうして、次に繋げようとせずに過去の清算に翻弄されるのだろうかね。
そんな卑小な自分に、また嫌気が差してデフレスパイラルに突入。あーれー。

 

後そうですね。自分にはボキャブラリーが無いなーって最近になって思うわけで。
今日まで5日連続で感想書いていますが、感じるところがほぼ一緒で、しかも同じような表現の仕方で感想を述べようとしています。
読んでいる方にも苦痛かと思いますが、自分でも書いていて落ち込んだりするときもあります。
「ああー、また同じ表現で書いてる。他の表現方法どうして思いつかんのかな」とか考えることはしばしばあります。
これは偏にインプットが少ないが故に起こっている症状だと思います。
んじゃ、本とか読めばいいじゃないか、という話になりますが、インプットしてもそれがすぐに蓄積されないでいたタイプだったりします。
何度も何度も繰り返しすれば覚えることが出来ますが、そんな努力すら出し惜しみする自分に、それは期待できないでいます。
だから自分のシナリオには(展開が)二番煎じとかそういうのが多いと言われるんでしょうね。

全然シナリオちからが増えやしない。
でも原因は自分にあるわけだから、他人に責任転嫁する事は出来ない。したら心の弱い存在だと揶揄される事となるからだ。
それでも書こうとする僕以外のシナリオライターさんには、頭が下がります。

……さて、明日はサイト誕生丸2年か。かといって何も出来ないとは思いますけれどもね。

 

 

1月25日

給料が考えていたものより少なくて凹んでいる和光です。すんすん。
夜勤いつもより2回は多く入っていたのに。世の中ってそういうものなのですかね。

 

んでWeb拍手より。

>完璧ってナンだろう?上を見てもキリは無い、下を見てもキリは無い。
>絶対に「自分」を信じている人間っているのかね?もし居るとすればその人は狭い世界で生きているだけ。
>まぁ、自分は他人を信じる力があるなんて言ってる事が自分を信じてることになるんじゃないのかと思ったり。

裏日記を読んで下さって有難うございます。
ただ愚痴グチ言っているだけのこの日記に何の魅力もありませぬが、Web拍手をしていただくということは何かしら感じたものがあったようで。
有難いやら、申し訳ないやら。

絶対に「自分」を信じている人間っぽい人を、僕は沢山見てきているような気がします。
あくまで「っぽい」ですけれども。
僕自身の感覚でいうならば、自分自身を信じている人というのは、臆せず自分の意見をずばずばと言える人だったり、
どんな辛いことがあっても何事も無かったかのようにみんなに振舞う事の出来る人だったりします。
(親族が死んだりした時にでもへらへら笑っている、とかそういうモノじゃなく、辛いことがあってもどーんと構えている人の事でしょうか)
それが果たして狭い次元で生きているかどうかは判りませんが、そうしないと生きていくことの出来ない世の中であるのかもしれません。
そういった人に近づこうとして足掻いているのが、自分という存在だったりします。

んで、3行目のは自分の説明不足だったところありますので、それを踏まえて。
他人を信じるっていうのは、他の人の評価であったり見識であったりを、そっくりそのまま盲目的に信じると言うことであって、
そこには自分で見て・感じて・考えて、自身を評価するという過程を放棄している、という事を言いたかったのです。
他人に依存する生き方、と言えば判りやすくなりでしょうか。
確かに若いときは金銭や住環境など、自分を取り巻く環境に対しては他の人に依存せざるを得ない事は多々あります。
しかし、考え方とか自分に対する評価まで他人に依存していたのでは、その姿勢が改善されない限りは何時まで経っても「コドモ」のままでいることになります。
では、どうして自分は他人への依存を改善し得ないのか。
僕自身は、「他人依存をする事によって自分は何も考える必要が無く、そして責任も果たさないから、という脆弱な精神の持ち主だから」と考えているからです。
これまで人の陰に隠れ、意見すべきときに言わず、全て他人任せ。そのくせ、自分が攻撃されるとやり返す術が無いから、逃げるか落ち込むか。
逃げるのならまだいいけれども、大体は逃げることも出来ずに直撃を喰らい、自己不信への深淵へと陥ちていく。

これを書いている最中も、「僕はこんなに弱い人間なんだー、だから誰かボスケテ」とか思っている自分がいてやんなっちゃいます。
でも、嫌だけれども助けてほしいと言う切なる願望が心の奥底に秘められているのは確かです。
これに代表された、二つの矛盾した感情の葛藤に苛まれながら生きているのかもしれません。

返信になっていないかもしれないけれども、これが今の自分に出来得る最高の返信なので、勘弁して下さい。

 

あー、後は最近感じるようになったのが「嫉妬心」。
誰かわからないけれども、「男の嫉妬は最悪だ」とか仰った方もいるようなので、その人から僕は断罪されるものだと思って、orz。

 

 

 

1月23日

自分の嫌な所、弱点、どうしようもない所。そういうものを見ると、不安になり、苛立ちを感じる。
そしてまた、どうしてそういう事で不安がったり、怒ったりするのか、と自己を叱責し、自己嫌悪に陥る。
なかなか消えぬ、心のデフレスパイラル。

人間である以上、否、一個の生命体である以上、完璧という状態からは逸脱した存在であるのだ。
人はどんなに長生きしたって、100年間。太陽の寿命でさえ、100億年。
生命体である以上、「死」という現象から逃れることはままならない。
完璧という語源になった「壁」でさえ、その状態が美しいからそう言われただけであるし、その時代で壁を見た人がそう述べただけで。
2000年以上たった今では、その現物は残されていない。
時間軸から言うなれば、「完璧」というものは存在しないのかもしれない。

それなのに、自分はどうして「完璧」をこだわろうとするのか。
時間軸では逸脱された存在だと言うのに、その法に則らずに生きていこうとするのか。
だからなのだろうか、楽しめないのは。
だからなのだろうか、気軽に生きていくことが出来ないのは。
だからなのだろうか、「自分」であることに苦痛を感じる羽目になってしまうのは。

自身のウィークポイントを握られて、心穏やかである訳が無い。
だからこそ、僕は「完璧」を目指してきた。
ただただ、人から誉められたいが為に。
それよりも第一に、無視されたり、攻撃されたり、罵られたり。そういうのを嫌悪していたからだ。
人から負の行動を受けてしまうこと、これを何よりも恐れていた。
理由は簡単、自分が辛い思いをするのが嫌だったから。

 

 

今、自信が極端に落ちてしまっている。
それはシナリオや絵を書く事にも連結している。
自信が無いということは、自分を出すことに躊躇い、不安、嫌悪を抱いている状態である。
自分の場合、他人の風評に左右されやすい為、他人の言動によって自信を得たり失ったりする事が度々ある。
要するに、「他人を信じる力」に長けていて、「自分を信じる力」があまりにも枯渇しているのだ。


では、その「自分を信じる力」は何処から手に入れれば良いのだろうか。
それが、自分が早急に欲している事柄である。

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