裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

もどるべ。   

2005年1月  2004年12月 前の日記

 

2月26日

思いっきり風邪引いてしまいました。朝起きたらビックリするくらい声が出ませんでした。
声枯れって言葉で片付けられる程のもんじゃなかったですよ、全く。

 

まぁ、最近の和光作品の感想は滅多切りにされているものが多いので、何とも言えませんが。ええ、某氏とか某氏とか(笑
確かに自分にも評価してもらいたいって気持ちはあります。
ただ、他人の評価はその人の基準に基づいたものであり、万人にもそれが当てはまると言う事はありません。
認めてもらいたい人に「ダメだな」とか言われるのは、確かに苦痛かもしれません。
逆に考えてみると、ダメって思ってくれるって事は少なからず自分の作品に期待しているんだとも考えられます。
その期待も人によって様々違うのだろうと思いますが。
まぁ、あれです。先ずは色々なものを吸収する事から始まると思うのです。
そこから様々な知識や技術を取り入れたり、上手くいけば人の感情の機微とか
ドロドロとした内面をも認知できるかもしれません。
それをつかむ事は、意識していればさほど難しいものではないと思います。
問題はそれをどう表していくか、だと思います。
表現力が乏しい人が人間の微妙な感情を描こうとしても、難しい話です。
かと言って、その表現力はすぐに身につけられるかと言えばそうではなく。
今日の自分よりも明日の自分の方が経験は豊かになる訳ですから、それは時間と共に蓄積されている場合もあります。
一番手っ取り早いのは、色々書いてみる事だと思います。
絵だって、描かないで上達する人は一人も居ません。絵筆を持った瞬間に天才的な絵画を描ける人は万に一人もいません。
それと同様に、文章もそうです。
だから、「自分は物語作りに向いてない」と思う気持ちを大切にしてください。
向いていないけれども書こうとしている自分自身に、誇りを持って下さい。
文章にして外に表すと言う事自体、非常に難しい事なのですから。
少なくとも、僕のように思っていることをずけずけと言えない人間よりかは、遥かに凄いと思う行為ですから。

「何でこんな感想しか書いてくれないんだろう」と思うのは簡単。
「色々と手厳しい意見を貰ったけれども、やって下さった事には感謝しないと」と思うのは難しい。
感想貰ってもつまんないって思ってしまったら、それこそが制作意欲を失ってしまう原因になってしまう。
だからこそ、自らが作ったシナリオをプレイしてくれるだけ有り難いって思える心を貫いていこう。
どんなに貶されても、プレイする人の時間を割いていただいて自分のシナリオをやってくれたんだから。

あっ、そうそう。最近のラスペ創作。現在14話17.8kb。
久々におちゃらけたeveを書いている気がするなー。
最初の方は一体何が起こってるんだろうという印象を受けそうで怖いですが、何とかしないと。むー。

2月19日

うあうあうー、明後日夜勤だよう。ぶっちゃけまだ自信が無いので、きちんと出来るか不安で一杯ですたい。

たまには書物から抜粋してみよう。トルストイの『戦争と平和』より。
敵の将校を捕虜にした時の、ロストフの言葉。
「では、ヒロイズムというのはこれだけのものかしらん? いったい俺があんな事をしたのは、祖国の為なんだろうか?
 あのあごにへこみのある、蒼い目をした男に何の罪があるんだ? だが、あの男の驚きかたはどうだっただろう!
 俺が殺すと思ったんだ。なんの俺があの男を殺すわけはないじゃないか。俺の手はふるえた。それだのに俺は
 ゲオルギイ十字章をもらった。わからない、なんにもわからない!」

次、ボロジノの戦いを鑑みたトルストイの思索。戦って何だろうって思ってるところです。
「ここには、過去全体をある事件の準備と見る回帰(還元)の法則以外に、なお事態を紛糾させる相互性がある。
 上手な将棋さしが勝負に負けたとき、その班員を自己の失策に帰し、勝負の始めあたりにその失策を発見しようとする。
 しかし彼は勝負の始めから終わりまで、一手ごとに同じような失策をしていたので、自分のさした手には一つとして
 完全なものがない、と言う事を忘れているのである。彼がある一つの誤りに気付いたのは、ただ相手がそれを利用した
 からである。ところが戦争の勝敗は、これに比べるとどのくらい複雑かしれない。戦争は時の中における一定の条件のもとに
 行われるものであって、一つの意思が生命の無い機械を指導するものと違う。そこでは様々な偶然の限りなき衝突から
 一切が生ずるのである」
長くてすみません。要するには、ただ一人の失策が勝敗を決するのではなく、様々な管理しきれない小さな衝突の勝敗が
全体の勝敗を決すると言う事だろうと。あくまで自分の感じたところですが。

アンドレイ公爵が、友人のピエールと明日のボロジノ合戦について話をする。
ピエール。「戦争は将棋のようなものだというじゃありませんか」
アンドレイ。「そうだ。しかし、ほんの少しばかり違ったところがあるよ。(中略)実践のほうでは時とすると、一大隊が一師団より
 強いことがあるかと思うと、一中隊より弱い事がある。だから軍隊の相対的な力は、誰にもわかりっこありゃしない。全くだよ。
 (中略)勝利はかつて陣地や武器や兵数に支配された事も無ければ、また今後も支配されることはあるまい」
ピエール。「じゃ、何に支配されるんです?」
アンドレイ。「僕や、この人や。(周りに居る人達を指して)それから兵卒一人ひとりの中にある感情だ。
 (中略)戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ。〜……」
何かアレだ。殷の紂王の大軍に周王が少数精鋭で挑んで打ち負かした戦いをみてもその通りですね。
兵数や物量ではない、一兵卒に到るまでの人々の心の中に「必勝」の心意気があるかどうかによるのだろうと。

つーか、僕はまだこの書物読みきってません。本当は抜粋する資格なんて無いんですけれども。
だけれども、「成る程なー」って思ったところは書いておいた方が良いと思いまして。
「俺はこんな本も読んでいるんだぜ、スゲーだろ」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
そう思われるのなら、一度読んでみなされって言っておきますわ。読むのしんどいけど。


話は変わって。
どうやら自分には批判精神というものが欠けているらしい。
自己に対する批判はたくさんしてるんですけれども、社会に対してや他人に対しての批判精神が余りにも無さ過ぎるっぽく。
悪く言うと日和見主義者。
世間的に見ると若いと言われる世代なのですが、この年齢で批判精神に欠けているってやっぱりおかしいのかな。
ただ、「他人を見て批判する俺、カコイイ」という人間だけには成りたくないと思った次第です。

 

2月17日

最近、人々の馬鹿騒ぎに上手く対応しきれなくなった和光です。

躁状態を保っていないと、社会的には認められないんですか?
いつも鬱々している人は、除け者にされるんですか?
今の社会は、悶々と過ごしている人達に余りにも風当たりが冷たいような気がする。
誰だって好き好んで鬱になりはしませんよ。
生活していくパワーを吸い取られてしまうんですよ。人間関係、自己との葛藤、仕事の良し悪し云々に。
そんなのパワーが無い人間が悪い、そんな人間は居ても居なくてもどうでもよいと考えてしまう風潮がある。
それは余りにも非情ではないのか。ストレスに押しつぶされてしまった人間は、生きていく価値の無い人間だと言うのか。
ちょっとした事で鬱々してしまう人は、ストレスを受け止める器が脆いと思う。
決して器が小さい訳ではない。そういう人は困難を真正面から受け止めようとする清々しさがある。
ただ、馬鹿正直に受け止めすぎて、ストレスをモロに受けてしまうのではないだろうか。
その結果、器の装甲を薄れてさせてしまい、ちょっとした弾みで自分の器が壊されてしまう。
それの行き着く先は、自殺か他殺か。はたまた社会逃避か。

そうであるならば。
自分だけは鬱々としている人の気持ちの判る人になりたい。
人の心は一生掛かったって判るものではないけれど、その一端が判る人間にはなりたい。
浮かれて過ごして、気持ちが落ち込んでしまっている人を差別するような人に対しての
ささやかな抵抗になれば、それで良い。

と言う事で、この2日間でラスペ14話進みました。只今7.77kb。偶然ですよ、偶然(笑
GPで「突っ走ろうぜ」という有り難いお言葉を戴きましたので、その通りにやってみます(爆
はっはっは、目隠し運転がどんなに凶悪かどうか、思い知らせてやるぜコンチキショー。

 

2月14日

こっちは久しぶりですね。
最近変わった事と言うか、おいおいって思った事。
ちょっと機会があって中国の武侠劇を観ました。日本でいうところの時代劇です。
大丈夫です。中国語ペラペラ話せるなんて真似は出来ませんから。というか、そんな事出来る位だったら実家に帰ってないよ。
何と言うか、CG使うのは良いんですがね、あまりにも不自然すぎるよっ!?
矢が無数に飛んでくるシーン。主人公らしき人間は矢を避けてるらしいのですが、動きが鈍過ぎ。
矢がわざと外してるようにしか見えないよう。例によって矢はCGでございます。
殺陣がそこまで上手くない。それを補う為に手から光を出したり、光纏った腕で攻撃してみたり。
演出を派手にしようとする気持ちは判るのですが、もっと自然な見せ方をしてもらいたいなー、と感じました。
肝心のお話は、中国語が分かんなかったのでわけわかめ。ダメジャン。

前置きはこの位にして(笑
この所本気で創作意欲が湧きません。
リアルで気を使いすぎてシナリオ制作にパワーを注げないというのも一つの理由でしょうが。
久しぶりにカニバリズマーをプレイしてみたのですが、とても見れたもんじゃないですね。よくこんなの出したよなーって。
でも、物語の進め方はあんまり成長していないみたいで。
細かいところ纏めきれなくなったから後はこいつ殺して終わりーとか、ひたすらキャラに語らせてみたりとか。
それが自分の持ち味だと言われればそれまでですが、どうも悪いところが目立っているような気がしてならなくて。
だからそれを直さなければ同じところで躓くだろうなーと思ったら、何かシナリオ制作する事に怯んでしまって。
創作活動をやっていて自分自身の成長が判らない事程苦しい事は無いと、僕は思います。
逆に下手になっていると感じてしまうと、そのショックは計り知れません。
単には自分を伸ばそうとする努力をしていないだけなのです。それで下手になっていると思うのは自業自得。
それが嫌だったら作りつづける事が一番なのですが、それもどうもやる気が起こらなくて。
簡単に言うと、様々な方にプレイして戴いているシナリオだからこそ、制作に気が抜けなくなってしまって、
それが自分の首を締めている格好になっているようで。
他人様から見れば「あのシナリオがどこが力入れて作ってるんじゃコラ」とか言われそうですが、
一つひとつ自分のその時の最大の力を出して制作しています。大変レベルは低いですが。

それ以前に、本当にポケーってする時が多くなってきたのが原因かもしれないなー。
何か息切れも出てきたし、色々疲れが溜まっているのも一つかも。
何でストレス発散すりゃ良いんだようー(笑
世の中上手く行き渡っている人って、こういったストレスを溜めない人なんだろうなと思う訳で。
そういう人に限って、結構わがままな人が多かったり。
僕は「こう有るべきだ!」というものから外れたらすぐ悩んだり落ち込んだりするから、それだけで損なんだろうなーと。

モチベーションを上げないと、上げないとっ!

 

2月1日

努力とか練習とか殆どしていないのに、ハイレベルを目指そうとするのは愚かである。
判っているのに。そんな事言われなくても判っているのに。

元来、地道な練習とかコツコツと積み重ねる努力とかが嫌いな人間なので、結構ぶっつけ本番で望む事が多い。
これは、リアルにしても様々な制作物においても同様の事が言えてしまう。
これが何を生み出すか。中途半端な結果しか生み出さない。
中途半端。グレー。白にも黒にもなれない混沌としたカラー。
誰だろうか。「可もなく不可もなく、よって不可」とか言った人がいるそうな。
その人に言わせれば、和光と言う人間は中途半端の塊であって、どうしようもない人間である、と。

僕は何を目指してシナリオを作っているのだろう。
僕は何を求めてアイコンを作っているのだろう。
目的が不明確、基本は疎か、他人の目線で見れば自己満足。
自己満足には浸っていないつもりでも、傍から見ればそう映ってしまう自分の力量の無さを痛感する今日この頃。

「人気のある自分は好き。でも落ち目になった自分は嫌い」
今、自分の心ではこういう心が充満している。
何と傲慢な、何と差別に満ちた心なんだろうか。
目を閉じれば落ち目な自分が映っている。それは当然苦痛であって、嬉しい事ではない。
落ち目な自分に陥ってしまうものはすべて排除していく生活。
それは一見安逸な状況かもしれないが、自分の気分を落ち込ませてしまう事柄から逃げつづける生活であると言わざるを得ない。
人は、自分の心を落ち込ませるもの、言わばストレスと言うものからは不可避である。
安逸な状況を望むと言う事は、ストレスが常にある現実社会からも逃げてしまうと言う事になり、
その考えの行き着く先は、自らの命を絶つという最悪のゴールへ流れ着いてしまう。

それで良い訳は勿論無い。
ただ、今はストレスに立ち向かうだけの力が弱ってしまっている為、このような吐露をしているだけなのだろう。
そう考えると、自分は随分前からストレスに立ち向かう力が弱まっていたんだろう。一日や二日で治せるような問題でも無さそうだ。
でも、どうしても焦ってしまう。その力が強大となって快活に生きていく自分を一日でも早く手に入れたい。
そんな魔法なんぞどこにも無いのは判っているのに。
結局は自分の心の癖に問題があると言うのか。直ぐに治らない事を思うと、心苦しい。

 

 

inserted by FC2 system