裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

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2005年2月 1月  2004年12月 前の日記

 

3月31日

年度末にこういう事を書くというのは、一体どういう神経しているんだろうと思われるかもしれませんが。

また消えたいと言う考えが浮かんできてしまいました。
今の状況、仕事でも対人関係でも将来の展望についても。改善の兆しが全く見えてきません。
自分が努力せずに改善の兆しをただひたすら待っているからかも知れませんが。
「泣かぬなら 泣くまで待とう ホトトギス」
これは、ただ何もせずに待つと言うのではなく、裏では不断の労苦を培って待つ、と言う事なのだと僕は解釈してます。
殆どの人はこれを知らず知らずのうちの体得し、実践しているものと思われます。
しかし、その成功を待てずに投げ出してしまう人も、多いということも忘れて欲しくはありません。
自分も多聞に漏れず投げ出す方だと思います。
この世界は因果関係を無視して物事は成り立ちません。過去に原因があって初めて今の結果がある訳で。
例えば、英語を喋れるようになりたいとします。
思い立った時にすぐ日本人が英語を自分の頭で考えて自分の口で喋る事が出来るでしょうか。
英会話の練習本を買って、すぐに英語を喋れるようになるでしょうか。
現実には無理な話です。知らない領域に足を突っ込んですぐに何でも出来るって人は、万に一人いません。
それを。現実には無理な事を理想として描いて、結局は現実に苛まれて生きる活力を失っていく。
魔法の言葉を信じて、全ての因果をすっ飛ばして最上の結果のみを求めるという愚かな思考の持ち主。
それが私、和光佳清な訳です。

生きるのが恐怖。死ぬのが恐怖。
自分自身が恐怖。他人が恐怖。
勇気を出して行動するのが恐怖。臆して何もしないのが恐怖。
波乱が恐怖。安逸が恐怖。
前進が恐怖。停滞が恐怖。後退が恐怖。
話すのが恐怖。黙るのが恐怖。
最近は様々な事に恐怖を感じています。

苦しいからといって、誰かが助けに来てくれると思う根性だけは排したいと思うわけで。
でも人は苦しい時には誰かに頼らないといけない時もある訳で。
一体どうすればよいのか、皆目見当が付かないときが良くあります。
「こういう時どうしたらよいのか」と聞くのは良いのかダメなのか、判断のつけ様が判らない時が良くあります。
自分にとってはわからないのに、「その位自分で考えろ!」と突っぱねるのは、やはり僕が馬鹿だからでしょう。
でも判らない時もある。でも馬鹿だと思われたくない。
外聞、外見を無理に繕う人間の卑しき心情。これが原因で何回道を踏み外した事か。
そして、経験を生かせずに何回も躓きつづけている。これこそ馬鹿なのではないでしょうか。

こういう馬鹿者は、やはり消えてしまった方が世のため人の為なのでしょうかね。でも消えたくないと思う自分も居る訳で。

中途半端、一つに徹する事の出来ない人間。これが一番人間失格の証なのではないかと言う今日この頃です。

 

3月15日

某氏のシナリオ感想総括を読んで(この時点で伏せてないような気がしますが)。
自分のシナリオに当てはまるような指摘が殆どでした。
自分もシーンを考えてからキャラクターを構築する人間なので、キャラの描写不足に陥りがちになってしまいます。
LastSpellのフライタとリリーの関係は所謂主人公とヒロインの関係になりますが、これも強引にくっ付けてるような気がして。
多分ですが、ネオぐらっちぇさんと自分はシナリオの構成や作成方法が似ているのかもしれませんね。
描写不足などは克服したいとは思ってはいます。ですが、癖と言うものはなかなか抜けるものではないようで。
それで諦めてしまうのも勿体無い気はしますけどね、きっと。

と言う事で、羽目を外す術を誰か僕に教えてくださいまし。
この頃色んな事を考えてしまっていたので、どこかでガス抜きしないととんでもない事になりそうで。
シナリオ作っているときはガス抜きになってないですからね、自分の場合は。
次の展開が思い浮かばなかったときの苦悩は、現実の生活をも脅かすくらいになってしまってまして。
それではいかんのは、判ってはいるんですけれどもね。はぁー。

3月12日

上手に出来ると思っていたものが、出来ていなかった時のショックは大きかったです。
失敗を次に活かそうと前向きに捉えようと思う自分、5ヶ月も経って結局は何も進歩していないと後ろ向きに捉えてしまう自分。
その2つの心が自分の頭の中で渦巻いています。
自分としては前向きに捉えたいのですが、現実を考えてみると何も進歩していない自分が居る訳で、
そういう自分を許したくないって言う感情がどうしても湧いてきてしまうのです。
正直、次に仕事場に行くのが億劫で溜まりません。しかし自分の都合で休む訳には行きません。
ましてや、仕事がなかなか覚えられないから辛くなって行きたくなくなりましたという理由で休んだらどうなるでしょう。
ただの根性無しと思われて、そういうレッテルを貼られてしまいます。

僕は、そういうのを非常に嫌う人間だと言う事を、最近気付きました。
自分は器は小さいし、大学行ってるくせに普通の大学生より常識を知らない事が多いです。
そのくせ人より劣っていると思われるのを嫌う傾向があるみたいで。
劣っていると思われないようにした事。僕は「いい子」でいる事を選択しました。
ここで言う「いい子」と言うのは、人から言われた事を素直に聞き実行する人の事、
自分を殺し他人の空気に合わせる努力をする人の事です。
他人に合わせていれば楽なんです。相手の意見に相槌を打つだけでその場がやり過ごせるんですから。
僕はずっと「いい子」を貫き通してきました。
しかし、それで自主性を手に入れるチャンスを極端に失った事も事実です。
その結果どういう人間が生まれるのか。人の意見や様子を窺って行動を決める卑屈な人間が出来上がってしまいました。
何より拙いのは、失敗を悪だという思考に陥ってしまっていると言う事です。
一挙手一投足、失敗は許されないと思いながら日々を暮らしている訳で。
そんな事やっていると、パンクしてしまいますよね。緊張も度が過ぎると疲れてしまいますし。
平成11年に東京都文京区で起きた「春奈ちゃん殺害事件」の加害者は、小さい頃から真面目ないい子だったそうです。
ずっと自分を押し殺しつづけた結果、幼い子どもを殺してしまったと言う最悪の形で爆発してしまったそうです。
真面目ないい子が必ずしも殺人を起こすと言う事ではないのですが、余りにも自分を押し込めすぎるとパンクするよと言う話。
ただし、僕にもそう言った話が当てはまるんじゃないかなとか思った次第で。

後、こういう人は人を批判すること、されることに慣れていないという人が多いようです。
失敗する事は悪であるという考えに結びつくのですが、こういう人はボロを見せるのが非常に嫌なのです。
自分がされて嬉しくないことは他人にはしたくないと言うのが人間の心理だと思います。
他人のボロを見つけるという事も怖くて出来ない。したらしたでひょっとしたら相手が自分のボロを見つけるかもしれない。
それが嫌だから、批判出来ない。しようと思ってもどこか薄っぺらい批判になってしまったりして。
自分は周りから良い人間でありたい。八方美人でありたい。
そんな切なる願いが、こういう人にはあるのです。欠点の無い人間なんていないのに。

うーあーうー、オチは無いのですが大体考えてるのはこんな事です。
肩の力抜いて行こうぜっていうセリフは耳にタコが出来るくらい聞きました。
まぁ、不器用なんでしょうな自分は。人間関係も、自分関係も。


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