裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

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7月4日

>仕事において、知らぬ間に慢心に陥っていた事に気づきました。
>やってしまった事は『慢心』という言葉で片付けてはいけないくらいダメな事ですけども。
>いけないと判っているけど、「ああ、あれね」という軽い気持ちで捉えてしまって、結果危ない行為に及ぼうとしていた。
>他の人に言われるまで気づかなかった(止めなかったとも言う)自分が、無性に悔しくてたまらない。


表日記の続きです。 (ここの存在に気づいている人はどれだけいるのだろうか、と)


今、世間を賑わせている偽装問題然り、こういう体質の人間がいるから起こるんだろうなと思う次第です。

凄く悔しいと思うのは何故だろう。
何時からこんな根無し草な人間になってしまったんだろう。

何がいい事なのか、何が悪い事なのか。
その基準をしっかり持っている人が、重宝されるのであれば。
僕みたいにいい事も悪い事もあやふやにしようとする人は、爪弾きにされてしかるべきなのだろう。

しかし、そうでもしないと生きていく事が出来なかった自分に責任がある。
周りに合わせる事でしか、自分の存在意義を感じる事が出来ないでいる。
そこに、「私」という存在は消滅している。
自分の意見も言わず、ただ周りに迎合する。
そういう体質から事なかれ主義が生まれ、独裁主義が蔓延ってしまう。
何て最低なんだろう、僕という存在は。

「自分が悪いんだ」という内省の弁は、時として自身に対する責任を生み出さない。
そこには、「自分が悪い」という言葉さえ言っておけば、それで終わりであるという妙な論理が組み立てられている。
問題は、何か不都合な事が起こった時の対処の仕方であろう。
問題が発覚した時、自分はどんな対応をした?
自分が悪いことは自覚している。危険な行為に及ばないよう、対処もした。
適切な判断をしてくれた人に対する感謝は? 周りへの謝罪は?
その辺がどうも抜けているみたいだ。
後述した対応が不十分だと、社会では通用しない。
仕事はただの仲良しサークルではない。否。サークル内でも、ダメなものはダメだし、ルールもあるはずだ。
そのルールさえ破ろうとしているのでは、話にならない。


「人との壁・距離」「臆病」「慢心」
そういった類のモノが、僕を狂わせている。
人との壁を取っ払い、苦手な人へ臆せず話しかける度胸を持ち、どんな些細な事に対しても手を抜かない。
目指すべきものは、確かに完璧超人なのかもしれない。
それで在るが故に、僕は悩んでしまうのであろうか。
何も失敗しないことが、人間として魅力のある存在なのだろうか。
甚だ疑問である。

なかなかどうして、生きる事って難しい。

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