裏日記。
はてなでは書けない愚痴とか裏話。表より表現が痛い可能性大です。

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5月30日

やはり甘えている。自分は甘えているんだ。

他人から何か言われなければ何もしようとは思わない性質。
そのくせ、厳しい事を突きつけられた時には不貞腐れてやる気を無くす。
人は、生きている以上悩みから逃れる事は出来ない。四苦八苦である。
その事が判っているのに、どうして悩む事から逃げ出そうとするのだろうか。

僕は、悩む事があまり好きではない。
一つの事で悩み出すと、他の事が殆ど考えられなくなるからだ。
その悩みに頭の中が支配されて、本来出来る事も出来なくなってしまう。
だから、極力悩まないようにした。そういう環境に置こうと画策した。

しかし、現実はそれを許さない。
悩みは尽きず、しかもそれは答えのあるものばかりでないと来たものだ。自ら答えを出す事ばかりだ。
それには模範解答などは無い。あるのは、自分自身の「確信」のみしかない。
だからこそ不安で、だからこそ逃げ出したい。
だが、現実はそれを許さない。

今まで、誰かの影に隠れて生きてきた。
誰かがやってくれるだろうという甘え、自分なんて居なくてもという甘え。
もはや、それは許されない状況になってしまった。
今度は逆に、僕が誰かを守るための影にならざるを得なくなった。

今まで甘えてきた分、いきなり前線に放り出されると、オロオロして何も出来なくなるのは、よくあることだ。
それがまさか、自分に当てはまる事になろうとは。
不甲斐無さで、いっそこの身をどこかへ隠してしまいたい衝動に駆られてしまう。
しかし、逃げる事は相成らん。

 

――腹決めか。結局はそこへ行き着くわけなのか。
何も動かなければ、0は0。何かアクションを起こせば、それが0ではなくなる。
結果は1かもしれないし、−1かもしれない。動いた結果、0になるかもしれない。
それは結果の問題であって、自分の中では0にはなりえない。
そこに、経験というプラス要素が必ず組み込まれる。
そして、「動いたよ」という行動の足跡が刻まれる。
行動の足跡がどれだけ多いのか。これが人生を謳歌していく重要なポイントになるのかもしれない。

その為に、腹を決めなければならない。
甘えばかりの人生を、今度は巣立ちするための人生へと――。

 

 

5月8日

一敗地にまみれても、敗残者のような姿を見せず。
先入観に捉われず、様々な事に挑戦していく。
何を何時どういう形でゴールするのか、明確にする。

そんな自分に、私は成りたい。

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