1、田沼意次は名政治家?

 

田沼意次。この名前を聞くと、必ず思い浮かぶイメージがある。
それは、賄賂である。
中学のときも、「田沼は賄賂政冶で世の中を濁らせたのだ」なんて教わった覚えがある。

しかし、「風雲児たち」を読んで、その見方がかわった。
それは明らかな間違いであった。完全なる思い込みであったのだ……!

彼の行った政冶とは、「商業によって国を発展させていく」という理念に基づいたものであった。
童門冬二も「田沼は重商主義者、松平は重農主義者であった」とある本で述べている。

そして、彼が老中にいた時代、最も蘭学が発展した時代でもあった。
有名な人でも、前野良沢、杉田玄白、平賀源内、大槻玄沢、桂川甫周エトセトラエトセトラ……
蘭学黎明を告げる人物がこの辺りで出現していることは、
彼が様々なものを取り入れ、国を発展させようと努力していた証拠であろう。
なんせ、開国まで考えていたんだからオドロキモモノキ。

田沼意次は、蝦夷地の開拓、印旛沼の干拓工事など様々な開発工事まで着手した。
とーぜん、幕府だけではそんな大開拓のお金は出せないもんだから、
商人からお金をたくさん借りていたようである。
そーいうところから、田沼=ワイロ・腐敗のイメージが漂ってきてるんだろうけど。

ただ、天運には恵まれず、浅間山の大噴火、その後の天明の大飢饉、
そこから物価が急沸騰し、田沼在位中は一度も下がることは無かったという。
印旛沼も台風の直撃により一からのやり直し。
息子意知も、凶刃にあって絶命等など……。

十代将軍徳川家治の死と同時に、田沼は老中を解任され、自らの領地遠州相楽藩は改易没収される。
その後の田沼糾弾がトテツモナイ、エゲツナイ。
「これまでの天災人災はすべて田沼の責任」
「田沼がワイロ政治を行うから、武士の風紀はことごとく乱れた」
なーんてことを次の権力者達は言っておったのですな。
そのイメージが今日まで田沼意次の印象を形作っているわけで。

 

彼は何を思って政治に取り組んだのか……?
「日本を豊かにする」事をモットーしていたであろう。
そのためには、一般大衆を守る政策を出していくことであった。
だから、開拓工事をたくさんやった訳ですな。

そういうのをそっちのけて、自分の保身のために動く政治家や、
自らの権限を振り回したいだけの政策を行っている人たちよりはよっぽどマシな人間だったと思います。

 

結論:田沼意次はワイロ好きな政治家ではない!


ちなみに、意見などは、メール、掲示板等に書きなぐってください。
ただ、百聞は一見にしかずなので、「風雲児たち」をぜひ読んでください。

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